紙本著色 春秋遊女遊楽図
しほんちゃくしょく しゅんじゅうゆうじょゆうらくず
概要
西応寺は真宗の高田派が越前と伊勢とで本山である専修寺の住持職を争った時に越前専修寺を支えた大坊四ヵ寺の一つであった、専西寺の後身である。熊坂(現あわら市)に専修寺を起した真能の妹、妙貞が専西寺の室となったことが、『真宗史料大成 4』所収の系図に見え、『法雲寺本系図』によると、真能の後を継いだ真教の妹や、真教の子の専誉の妹も同じく専西寺の室となっている。真教が本山争いに敗れて近江の大溝に流されたあとに真教の後室が創建した西雲寺の後身が法雲寺で、法雲寺には岩佐又兵衛が寛永十年(1633)に執筆した、争論にあたって福井藩主松平忠昌に差し出すための「目安筋書案文」が伝存している。当寺に又兵衛風の作品が伝わる背景をこれらからうかがうことができる。