加藤嘉明書状
かとうよしあきしょじょう
概要
加藤嘉明が朝倉宣親へ宛てた書状。将軍家光が老中土井利勝邸へ御成したことについて、土井家や朝倉父子にとって目出度いと祝意を表し、自分たちも同様に嬉しい気持ちを伝えた内容。宣親は、将軍家光の弟忠長の附家老朝倉宣正の長男。同じく宣正の娘で、宣親の妹が、嘉明の三男で二本松藩主の明利に正室として嫁いでおり、息子の義理の兄に宛てた姻戚間の音信になる。また、宣親母(宣正正室)の昌清尼(朝倉清)は、土井利勝の義妹で、朝倉家の主君徳川忠長の乳母(朝倉局)でもあり、嘉明は三男正室の実家を介して、将軍弟忠長や老中土井利勝につながっていた。当時、徳川忠長は兄の将軍家光と徐々に確執を深め、寛永10(1633)年には切腹し改易となる。もしかすると、将軍兄弟の確執が深まる中、三男明利正室の実家に対する嘉明の気遣いが表れた書状なのかもしれない。
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愛媛県歴史文化博物館