詠歌大概
えいがたいがい
概要
後奈良天皇(1497-1557、在位1526-1557)が色変わりの華麗な料紙に藤原定家の歌論書『詠歌大概』を書写したもの。後奈良天皇は、文筆に長じ、三条西実隆や吉田兼右、清原宣賢に学び、漢籍や古典などの学問に造詣が深かった。また、不安定な世相にあって常に民を慈しんだ。
父の後柏原天皇から受け継いだ、「後柏原院流」と呼ばれるおおらかで豊潤な書風が見て取れる。後奈良天皇は総じて濃墨を好み、重厚さを帯びた運筆と転折の抑揚に特徴があるが、本品からもそれをうかがえる。冒頭の漢文体の歌論部は肉太で調和のとれた行書で、秀歌例を挙げた「秀歌躰大略」の部分は柔和な草書で書き分けるなど、後奈良天皇の技量の高さをうかがわせる。
本品は後欠のため、奥書が存在するかどうか不明であり、また書写年も不明であるが、『実隆公記』や『お湯殿の上の日記』には、後奈良天皇が三条西実隆に『詠歌大概』を書写・校合させ、進上させている記事や、実隆に『詠歌大概』の講師役をさせたという記事があり、後奈良天皇の『詠歌大概』への関心を示す記録が残っている。