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一橋徳川家関係資料

ひとつばしとくがわけかんけいしりょう

概要

一橋徳川家関係資料

ひとつばしとくがわけかんけいしりょう

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 明治 / 江戸 / 室町 / 関東 / 茨城県

茨城県

室町~明治

文書記録類4017点,書画・典籍類224点,器物類460点,写真14点

茨城県水戸市緑町2-1-15

重文指定年月日:20200930
国宝指定年月日:
登録年月日:

茨城県

国宝・重要文化財(美術品)

一橋徳川家は、八代将軍徳川吉宗の四男宗尹(むねただ)を家祖とし、一〇代茂(もち)栄(はる)の代に明治を迎えた。通称の一橋は江戸城一橋門内近くに屋敷を構えたことに由来し、田安・清水両徳川家とともに御三卿(ごさんきよう)と称された。同家から一一代将軍家(いえ)斉(なり)、一五代将軍慶(よし)喜(のぶ)が出た。
 本資料群は、一橋徳川家の家臣団が完全に解体した明治三年(一八七〇)以前に同家に伝来したことが明らかなものを指定の対象とした。
 文書・記録類では、まず朝廷が発給した位(い)記(き)・口(く)宣(ぜん)案(あん)・宣(せん)旨(じ)等が授受された当時の形状でまとまって伝存し、同家の高い家格を示す文書として貴重である。ほかでは、日記・御用留類、家臣・領地関係、儀礼関係、家譜類などが質量ともにまとまって伝来する。これらは一橋家の家政や所領支配、または幕政への関与、将軍家や大名家との交際の実際を窺うことができる史料群である。その他特徴的な文書として、二代治(はる)済(さだ)自筆の文書がある。これらは「御書付」「御筆」と呼ばれた文書で、奉書紙を料紙とし、家老等へ宛てた下達文書である。家老等からの伺書に対し、了承の旨や別の指示を付札に書して回答した文書とともに、同家の意思決定に、治済が(前)当主として参画した具体を伝える史料である。
 書画・典籍類及び器物類は、儀礼や行事の場で用いたり、調度として誂えられた道具類、歴代当主が教養や趣味として揮毫・書写・収集した作品などから構成される。器物類は刀剣、拵、武具、染織・装束、能面、漆工、金工、木竹工、陶磁器、印章類など多彩である。これらは、落款や銘文、付属品、または御道具帳類の記載内容などにより、各々の作品の由緒や同家の御道具となった過程を窺えるものを多く含み、同家の文化を考えるうえで資料価値が高い。
 写真は、いずれも幕末期のもので、アンブロタイプ一枚と鶏卵紙写真一三枚である。前者は、「元治丑(一八六五)三月」と画像面にある徳川茂徳(もちなが)(茂栄)の半身像である。後者のうち一二枚は将軍在任期間中を含む慶応二年(一八六六)から三年頃の徳川慶喜の姿を写したもので、同人の姿を如実に伝える江戸時代に遡る写真群として貴重である。
 これらは、文書・記録類、器物類等が相俟って同家の歴史を明らかにし、御三卿研究上に唯一のまとまった資料といえ、江戸時代の政治史・文化史、古文書学等の研究上に価値が高い

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