文祢麻呂墓誌
ふみのねまろぼし
概要
銅板で作られた飛鳥時代の墓誌です。江戸時代に、現在の奈良県宇陀市(うだし)で農作業をしていた農民が金銅製の箱に入れられているのを見つけました。金銅製の壺も一緒に出土しており、中には火葬された骨の灰が詰まったガラスの壺が入っていました。埋められていた穴には木炭がしかれていたことがわかっています。
墓誌に記された文字から、骨は、慶雲4年(707)9月に亡くなった文祢麻呂(ふみのねまろ)のものであることがわかりました。文祢麻呂は、『日本書紀』や『続日本紀』にも登場する人物で、朝鮮半島から渡ってきた渡来系氏族の西文氏(かわちのふみうじ)出身です。壬申の乱で大海人皇子(おおあまのみこ)(後の天武天皇)に味方して功績を上げ、従四位下(じゅしいげ)という高い位まで昇進しました。この墓誌には正四位上(しょうしいじょう)と記されているので、亡くなった後にさらに高い位を贈られたようです。
日本では6世紀半ばに仏教が伝わるのと同時に、火葬の習慣も取り入れられるようになりますが、それから間もない時期に火葬を行っているのは、先進の技術や考え方をもっている渡来系の氏族だったからかもしれません。
日本でこれまでに発見された墓誌はわずか16例しかなく、その中でも本例は初期の墓誌として、大変貴重な資料です。
【墓誌銘文】
壬申年将軍左衛士府督正四位上文祢麻
呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒