茶碗と果実
概要
18 速水御舟(1894−1935) 茶碗と果実 1921年
東京生まれ。旧姓蒔田、本名栄一。1908年松本楓湖に入門、11年同門の先輩今村紫紅の知己を得て、紅児会に加わる。14年赤曜会を結成するとともに再興日本美術院に参加、17年同人に推された。大正後期には細密描写を突き詰め、25年《炎舞》ではさらに幻想味を加えた。昭和初期には装飾性を融合した《名樹散椿》に至るが、40歳の若さで亡くなる。
御舟は1920年に徹底した細密描写による《京の舞妓》を描いてからの数年間、人物画、風景画、そして静物画とその写実表現の幅を広げた。この作品のような陶器に果物や花を組み合わせる静物画の系譜は西洋画の伝統に連なり、同時期の岸田劉生からの影響関係が想像される。赤い果実はあんずの一種で巴旦杏。茶碗の硬さ冷たさと、果物の柔らかみや瑞々しさがそれぞれ対照的に克明に描写されている。御舟の写実は視覚的な描写の次元から一歩踏み込み、もの自体と画家との思索的な関係にまで立ち入っている。