色絵月梅図茶壺
いろえげつばいずちゃつぼ
概要
茶壺は読んで字のとおりお茶を入れる壺で、抹茶(まっちゃ)にすりつぶす前の茶葉を保管したものです。蓋(ふた)をしばるための紐(ひも)通しの輪を上部に4つ付け、表面に釉薬(うわぐすり)を掛けて焼かれた大型の壺は、中国で生産され、香辛料などを運ぶための用意として、日本にもたらされていました。茶道が盛んになると、こうした壺は茶壺として使われるようになり、茶碗や釜などと同じく茶席をかざる重要な道具の一つとみなされ、国内でも作られるようになります。
江戸時代17世紀中ごろ、京都・仁和寺の周辺で焼き物の工房を構えた野々村仁清(ののむらにんせい)は、鮮やかな色彩と絵画的な筆づかいで器に絵付けをした「京焼」(きょうやき)を大成させたことで知られます。色や模様が少なく地味でもあった茶壺に、初めて絵画的な絵付けをしたともいわれており、仁清工房の手がけた色絵茶壺が、数多く今に伝えられています。
この壺では白地を背景に、満開の花を付けた梅の木と月が、赤や緑、金や銀などで描かれます。赤色の梅、銀色の梅はそれぞれ、紅白梅を表したのでしょう。全体に配置された金色の雲が、梅や銀色の月の姿を見え隠れさせています。仁清は、焼き物の色絵における金銀の使い方に、強く意識を働かせていたといわれており、その特色がよく表れた作品といえるでしょう。
大きく描いた紅白梅の木に月という構図やモチーフは、東京・高林寺(こうりんじ)に伝わる、同じく17世紀ころに描かれた屏風絵にも見ることができます。しかし仁清は、平面的な図柄を球体という難しいキャンバスに置き換え、色絵付けの特色を活かして、ひとつの完成された世界を作り出すことに成功したのです。