石人
せきじん
概要
石人は、埴輪と共に古墳に並べられていた石の像です。こうした石製品には、埴輪と同じように、武器や威儀をあらわすためのものなどの器材や、人物、動物をかたどったものなどさまざまな種類があります。そのほとんどが九州で出土しており、熊本県にある阿蘇山でとれる石(阿蘇溶結凝灰岩)で作られています。大型のものが多く、古墳の主の権威の象徴として、なにか特別な意味があったものかもしれません。
この石人が発掘された福岡県の岩戸山古墳は、墳丘の長さが135mもある九州北部では最大の前方後円墳です。6世紀前半の継体天皇の時代に反乱を起こしたことが「古事記」や「日本書紀」に記録されている、筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)磐井の墓と考えられています。古墳が造られた時代と被葬者がわかっている全国的にも非常に稀な例です。
この古墳の北東の隅には、別区と呼ばれる張り出し部があり、現在までに円筒埴輪や石製品が100点以上出土しており、磐井の力の大きさを今に伝えています。
さて、この石人ですが、表面は、人の顔と腰帯と大刀が表されており、両腕を上げて裾の広がる衣をつけた人物像に見えます。ところが裏面を見ると、鏃(やじり)を上に向けた矢が表現されており、紐がついています。これは、全体として矢を入れる靱(ゆぎ)を表わしたもので、紐は靱を背負うためのものです。つまり、表は人物、裏は武具をかたどった両面仕様になっているのです。おそらく、靱を背負って警護にあたる役目の人を象徴的に表したものでしょう。