真如法親王像
しんにょほっしんのうぞう
概要
画面中央で熱心に書き物をしている男性は、真如法親王(しんにょほっしんのう)です。平城天皇(へいぜいてんのう)(774~824)の子として生まれ、一時は皇太子となりましたが、810年に起こった薬子の変(翻訳:政治的事件)をうけて皇族を追われました。その後出家し、真言宗を開いた空海(774~835)の弟子となります。60歳を過ぎてから修行のために唐(現代の中国)にわたりましたが、それでは飽き足らず70歳を目前にして仏教発祥の地、天竺(現代のインド)を目指します。
この絵は、その旅の様子を描いたものです。松のような木が生い茂る山の中、洞窟で仮住まいをしているのでしょうか。最低限の荷物の中にも、書き物ができるだけの一式を持ち、机の上にはお経が書かれた冊子が置かれています。奥には花瓶と、お香をたく炉のようなものが見えます。手前には、川から水を汲み、この男性の身の回りのお世話をしている女性が二人描かれています。これは、一人の人物の動きを同じ画面に描く異時同図(いじどうず)という手法で描いたものでしょう。この男性が真如法親王とされるのは、右下に描かれた虎の存在からです。真如法親王は、その旅路の途中で消息を絶ち、最後は虎に襲われて亡くなったという言い伝えが残っているからです。
この絵が描かれたのは、真如法親王の時代から500年ほどたった頃、14世紀の鎌倉時代です。鎌倉時代の仏教の特徴の一つに、原点回帰がありました。釈迦の仏教が力を失うと考えられた末法の時にあって、改めて仏教の原点である釈迦への信仰を見直そう、という流れがあったのです。その中で、仏教の根源を求めてインドに渡ろうとした真如法親王の姿を描いた図が作られたのかもしれません。ただ、絵をよく見ると、出家している真如法親王が長いひげをはやしていたり、史実とは異なるところも多くあります。また、顔の部分をはじめ、修復がされている箇所が多く、どこまでが元の図なのかははっきりしません。しかし、真如法親王の旅路を描いたと考えられるこの絵はとても珍しく、その信心深さへの敬意が伝わってくるような作品です。
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