小菅の講堂
こすげのこうどう
概要
小菅地区に残る寺院、神社建築は中世の小菅山元隆寺として形成されたのが始まりとされる。戦国時代まで隆盛をきわめていた小菅は、武田軍により放火されたといわれ、多くの建造物を失ったが、近世以降飯山藩主などにより再興が図られたとされる。講堂はもともと元隆寺の中之院に属する建造物であったが、武田の兵火で焼失後、修復された記録が残る。現在の建物は法印空心の発願で寛保元年(1741)に再建されたことが伝えられている。
こすげのこうどう
小菅地区に残る寺院、神社建築は中世の小菅山元隆寺として形成されたのが始まりとされる。戦国時代まで隆盛をきわめていた小菅は、武田軍により放火されたといわれ、多くの建造物を失ったが、近世以降飯山藩主などにより再興が図られたとされる。講堂はもともと元隆寺の中之院に属する建造物であったが、武田の兵火で焼失後、修復された記録が残る。現在の建物は法印空心の発願で寛保元年(1741)に再建されたことが伝えられている。
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