板地著色若衆歌舞伎図絵馬
いたじちゃくしょくわかしゅうかぶきずえま
概要
若衆歌舞伎は、初期歌舞伎の一形態で、17世紀の一時期に流行した。寛永六年(1629)女歌舞伎禁止のあとに台頭したもので、前髪のある美少年(若衆)の舞踊を中心とし、承応元年(1652)風紀上の理由から禁止された。
小浜の妙楽寺は、江戸時代前期には踊りや見世物の類が催される遊楽の場であったことが江戸時代の地誌『拾椎雑話』にみえるが、妙楽寺に伝わった本図は、華やかな装束を着け三味線・鼓・締太鼓に合わせて6人で群舞する若衆やそれを見物する人びとなどを描き、若衆歌舞伎の芸態を伝える、全国的にも数少ない絵馬のひとつである。また「寛文二壬寅歳六月」の紀年銘をもち、若衆歌舞伎がその禁止後も若狭で上演されていたことを示しており、本県の文化史上においても重要な絵画である。