過所船旗〈天正九年四月廿八日/〉
能島村上家文書
かしょせんき
のしまむらかみけもんじょ
概要
長州藩船手組村上家に伝来した資料群である。村上家の祖能島村上氏は瀬戸内海芸予諸島の能島(今治市宮窪)を拠点とし、海賊とも呼ばれた武士である。中世瀬戸内海の海上勢力として諸大名への帰属・離反により独立を維持し、畿内の各政権からも認識されたが、中世末期に毛利氏への帰属を強め、江戸時代に家臣に組み込まれた。
過所船旗は、平絹を仕立てたもので八双と軸木が残る。中央に大きく意匠化された村上氏の家紋、右側に宛所「芸州厳嶋 祝師□」、左側に年紀・差出「天正玖年四月廿八□武吉(花押)」が墨書され、能島村上氏の当主武吉が、安芸厳島神社の社家祝師氏に発給したことがわかる。中世厳島神社は瀬戸内航路の経由地にあたり、海運業や商業活動も統括しており、能島村上氏に通行許可書的機能をもつ旗を求めたと考えられる。
能島村上家文書199通の内訳は巻子装9巻(93通)、一紙文書106通で、正文は187通、案文は12通である。巻子装は、将軍足利義輝御内書1巻、毛利氏・小早川氏書状1巻、諸大名書状1巻、小早川隆景書状2巻、毛利隆元・元就・輝元書状1巻、毛利輝元書状2巻、毛利氏・小早川氏起請文1巻からなる。巻子は江戸時代に成巻されたもので、室町幕府将軍、毛利氏当主、小早川隆景ほか毛利氏一門、松永久秀、織田信長、豊臣秀長、大内義長、大友宗麟、三好実休、河野通直など中国・四国・九州や畿内を拠点とする大名の書状を収める。一紙文書は毛利氏一門、毛利・小早川氏の年寄・重臣・奉行衆、河野氏、羽柴秀吉およびその奉行衆など豊臣政権関係者の書状が大半を占め、その他能島村上氏領を記した知行地書上等を含む。初出は(年未詳)卯月13日付細川高国書状で、忠節の報償として村上隆勝に讃岐国塩飽島代官職を宛行ったものであり、以後塩飽島海上近辺は能島村上氏勢力圏の東界となった。下限は(慶長4年<1599>)10月2日付村上元吉宛毛利輝元書状である。文書群は毛利・能島村上両氏の関係を中心とした内容で、独立を維持した能島村上氏が豊臣政権による海賊禁止政策により次第に勢力を失い、毛利氏への依存が強まり家臣化される過程を如実に伝えるものと評価される。これらは海上交通の要衝である瀬戸内海において水軍を編成し活動した戦国期武家の具体的な活動を示すとともに、その動向と変遷を知る上で最もまとまった資料群として歴史的価値が高い。