観音座像
かんのんざぞう
概要
本資料は、高岡出身の彫刻家・和田長次郎作の観音座像である。この資料は、高岡末広町にあった神木・七本杉(昭和2年に伐採)の木材を利用して制作されたものであり、中心部分に観音像の浮き彫りが施されている。像の裏面には「昭和廿七壬辰年弥生/神木/七本杦ニテ/紅雲作」と彫られている。また、昭和27、28年頃に長次郎は二上山麓の慈尊院の不動明王(焼失)を作ったが、それには七本杉の灰を漆に混ぜて塗られたという。
本資料には目立った汚れや腐食などは見られず、状態は良好である。
●高岡の七本杉
欽明天皇(531-562)の頃に植えられたものとされ、根元から七本の枝が天に向かって伸びていたため「七本杉」と呼ばれた。古来より人々の間では大木には神霊が宿り、うっそうと茂る杉枝の上には天狗がいるともいわれた。七本杉は、樹齢千数百余年・高さ47m・周囲18mの巨木であった。明治31年(1898)には高岡駅(当時は射水郡下関村)が新設され、現在の駅前の末広町通りは交通の要衝となっていくが、この七本杉の交通妨害などを引き起こしたため、昭和2年(1927)11月18日に伐採された。なお、伐採作業は毎日12人の人夫を使い、2週間を費やしたといわれる。またこの七本杉は全国銘木類抄にも掲載され、明治44年(1911)七本杉は全国一の古木であることが立証されている。
<参考文献>
・『高岡史話-庶民の歴史-』上巻(高岡史談会、1964年)
和田長次郎(わだちょうじろう)〔生没年:明治15年(1882)~昭和30年(1955)〕
射水郡高岡町川原上町(現高岡市川原町)出身の彫刻家。号は紅雲。屋号は雅古堂。明治30年(1897)年頃、金沢の仏壇彫刻師のもとへ奉公に入り、数年後鎌倉に遊学。そこで鎌倉彫の技術を習得し、高岡彫刻漆器の基礎を築いた。富山県高岡工芸学校彫刻科教諭・村上九郎作(彫刻家。号・鉄堂/1867-1919)、五十里長二らと親交があり、指導も受けていた。花鳥・人物・動物などの表現を得意とし、模様以外の面に蓮華鏨を用いて地紋風に彫りつくす「トントン彫」を始めたともいわれており、高岡彫刻漆器の発展に尽くした。弟子に金丸友治、和田慶治、沢川与三吉、室谷政太郎がいる。
<参考文献>
・高岡市立美術館編『高岡三大名作美術展 目録』(1989年)
・『日本漆工(高岡漆器特集号)』(社団法人日本漆工協会、1981年)