姑蘇万年橋図
こそまんねんきょうず
概要
17世紀前半に、キリスト教の禁止によって西洋文化を一掃した日本と入れ替わるように、中国ではキリスト教の布教を軸にした洋風文化の浸透、特に絵画芸術への洋風技法の導入が様々な形で試行されました。その波は蘇州にも及び、18世紀前半には、西洋画の陰影・遠近表現を導入した都市鳥瞰図を大型の着彩木版画として描く作品が出現しました。これら蘇州版画の最盛期を物語る作品は、残念ながら中国本土での現存例はほとんど報告されていません。一方、18世紀前半以降の対日貿易の拠点で、蘇州とも水運でつながる港町・乍浦を発した中国船が、大量の蘇州版画を長崎に輸送していました。その数量は、1760年代に6万件に達したとする説もあります。これらは主に、「唐人屋敷」に居住する中国人の需要によるものと考えられますが、現在、日本に伝存している最盛期の蘇州版画の数々は、これらが日本人からも注目され愛好されてきたことを示しています。
「姑蘇万年橋図」は、蘇州城(蘇州旧市街地)の西側城壁の関門のひとつ胥門の近くに、乾隆5年(1740)に完成した万年橋を描く、大型の木版画です。外城江と、これにかかる3連式の石橋である万年橋を中心に、周辺の街並を俯瞰しています。左下方の城壁上にそびえているのが胥門の楼閣、その手前が蘇州城内の市街地で、多種多様な店が軒を並べ、多くの人々で賑っています。街頭では綱渡りのような大道芸も行われています。一つ一つの建築物や船舶の様子が陰影をつけて非常に丁寧に描き分けられており、あたかも、当時の街並を上空からドローンで撮影したかのようなイメージとして完成しています。
細部の描写には銅版画のようなクロスハッチングを施している部分もあり、西洋画の影響を示唆しています。この橋の建造は蘇州版画の最盛期に重なったため、その景観は蘇州の新しいランドマークとして多くの版画に描かれたと考えられます。本図や「蘇州景新造万年橋図」(町田市立国際版画美術館蔵)のような高い視座からの俯瞰図ばかりではなく、横長画面の低い視座からの景観を描いた版画も多く日本に輸出されたと考えられます。その大半は現存していませんが、たとえば円山応挙による眼鏡絵や、歌川豊春の風景版画の中に、その影響を示す「万年橋図」があります。
【長崎ゆかりの近世絵画】