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生型銅器 灰皿「日産肥料発売80周年記念」

なまがたどうき はいざら「にっさんひりょうはつばい80しゅうねんきねん」

概要

生型銅器 灰皿「日産肥料発売80周年記念」

なまがたどうき はいざら「にっさんひりょうはつばい80しゅうねんきねん」

民俗 / 昭和以降

〔製造〕現・日産化学株式会社

昭和42年頃/1967年頃

ブロンズ・鋳銅

幅32.7cm×奥行15.4cm×高3.4cm

1

富山県高岡市古城1-5

資料番号 2-11-01-21

 本資料は、「日産肥料発売80周年記念」と陽刻された、生型銅器の灰皿である。製作は、現在の日産化学株式会社であると考えられる。
 同社の前身である東京人造肥料会社(後の東京人造肥料株式会社)は、明治20年(1887)2月に、高岡生まれの世界的科学者・高峰譲吉、渋沢栄一(第一国立銀行頭取)、益田孝(三井物産創設者)らにより、日本初の化学肥料製造会社として創業した。このことにより、本資料は設立から数えて80年とすると、昭和42年(1967)前後の資料であることが考えられる。
 資料の内底には陰刻「日々是好日」とあり、縁部分の上部には丸の中に星が入ったマークがあり、縁部分の下部には陽刻「日産肥料発売80周年記念」の文字がある。外底には印章があるが、文字部分が粗く判読できない。
 資料の保存状態は、一部に錆が見られる。


<生型鋳造法>
 代表的な鋳造法。湿り気を与えた鋳物砂で作った鋳型に、乾燥やあぶり、焼きなどの処理を加えることなく、そのまま水分のある間に溶けた金属を流し込み成形する。「生」のまま鋳造するので「生型」といわれる。鋳物砂は繰り返し使用でき、一つの原型から数個以上の製品を作り出せるため、量産に適している。高岡では大正7年(1918)に嶋安次郎が確立した。現在高岡では、高岡銅器製品の大半が生型鋳造法で作られている。

※参考文献
 香取正彦・井尾敏雄・井伏圭介『金工の伝統技法』(理工学社、1986年)

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