京城跡
みやこのじょうせき
概要
京城跡
みやこのじょうせき
三重県
<成立>
・京城は、熊野川支流の相野谷川中流に造られた中世城館である。
・京城は、地域の実力が蓄えられてきた室町時代後半頃に、新宮の支配から独立した地域の有力者によって築城されたと考えられる。
<構成>
・自然地形を利用した平山城で、大きく2つの曲輪群に区分できる。中央の広い敷地が居住域、西側の高い部分が物見台と考えられる。
・土塁・堀切とともに、要所には石垣を用いた堅固な造作である。
・石垣の造作は熊野在地の手法と考えられる。
・東・北・西面には堀切・切岸・竪堀を造作し、強い防御意識が窺われる。これは、トロトロ坂・北山道を経由した北山郷方面からの攻撃を意識したものと考えられる。
・南側は相野谷川、相野川が天然の堀として機能している。
・戦国時代末期には畝状竪堀群や枡形虎口が造作されており、織豊政権の影響を伺うことができる。
・城の規模は、東紀州地域では赤木城跡・鬼ヶ城跡に次ぐ規模を誇っている。
南牟婁郡紀宝町大里
紀宝町指定
指定年月日:20190306
記念物