庚申山広徳寺三猿石造道標
こうしんさんこうとくじさんえんせきぞうどうひょう
概要
庚申山広徳寺三猿石造道標
こうしんさんこうとくじさんえんせきぞうどうひょう
滋賀県
江戸/1851
花崗岩製。頂部に「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の像。
総高566cm
1基
甲賀市水口町牛飼
甲賀市指定
指定年月日:20170214
広徳寺はには真鍮の始祖となった由来が伝わり、寺伝では寺近くに住む山上の藤左衛門が文禄2年(1593)正月に広徳寺に籠り、祈願すると本尊青面金剛より真鍮の合金術を授かったという。真鍮の精錬により、京都で財をなした藤左衛門は元和2年(1616)に広徳寺本堂を再建する。こうした霊験譚から本尊青面金剛は真鍮の元祖とする伝承が生まれ、これを信仰する非鉄金属業者が集まり、その信仰は京都、大坂、江戸にまで及んだ。
山上区
有形民俗文化財
水口町山上にある庚申山広徳寺に参詣者を誘うため、嘉永4年(1851)に三都の金物屋が発起人となり、建立されたものである。もとは横田の渡しの三雲側に建てられていたが、草津線が開通し、貴生川駅が置かれたこともあり、大正8年(1919)に現在地近くに移転された。その経緯が基壇の石板に刻まれるが、これにより本来「五十」丁と刻まれていた里程が「三十」丁と改められたらしく、その痕跡が認められる。昭和58年(1983)国道307号線の拡幅にともない、さらに現在地に移設されている。