豊臣秀吉像
とよとみひでよしぞう
概要
秀吉は慶長3年(1598)に歿すると、翌年には「正一位豊国大明神」の神号が朝廷から勅許され、神となり、京都の東山七条には、秀吉の霊廟と彼を祀る豊国社が造営されました。本図では、右手に笏(あるいは檜扇)を持ち、威儀を正して繧繝縁の上畳に座る秀吉が描かれています。御簾を巻き上げた宮殿のなかで、神の表象とされた烏紗帽を被り、直衣、指貫を着て、左脇に太刀が立て掛けられています。宮殿上部には桐文が配され、秀吉の背景には淡墨で桐図が描かれており、豊臣家の家紋を意識的に織り込んでいます。本図に附属する極めでは、狩野常信は本図を狩野山楽の筆と比定しています。作者についてはなお検討を要しますが、神格化された秀吉の姿を描いた桃山時代の優品です。
【南蛮美術】