清水寺嘉永3年算額・清水寺明治25年算額
きよみずでらかえい3ねんさんがく・きよみずでらめいじ25ねんさんがく
概要
清水寺嘉永3年算額・清水寺明治25年算額
きよみずでらかえい3ねんさんがく・きよみずでらめいじ25ねんさんがく
江戸時代後期、明治時代/1850 1892
木製
嘉永3年算額:縦95㎝×横215㎝
明治25年算額:縦100㎝×横260㎝
2面
花巻市指定
指定年月日:20160307
有形文化財(美術工芸品)
清水寺嘉永3年算額の盤面は、横長の板を上下二枚合わせたもので、清水寺の庫裡に掲額されている。経年劣化により図形の色彩等に若干色褪せはあるが、図形や文字は十分に読み取ることができる。市内では2番目に古い紀年銘を持ち、奉納者は当時和賀郡藤根村(北上市和賀町藤根)周辺で開塾していたと思われる関流算学師・藤葉軒数重の門人4人で、全員和賀郡在住者である。算額が奉納された嘉永年間(1848~53)は、和賀地方周辺で和算が普及し始めた時期と言われている。清水寺は、江戸時代中期以降に大流行した当国三十三観音巡りの第一番札所であり、和賀稗貫二郡の中でも最も有名な寺院であることから、ここに算額を奉納することにより、自らの勉学の成果を神仏に感謝あるいは祈願したものであろうか。この算額は当時庶民に広まってきたと言われる和算のレベルを知る上で貴重な史料である。
清水寺明治25年算額は清水寺本堂内に掲額され、図形の彩色等はさほど退色せず読み取れるが、盤面が幅の狭い板21枚を縦に並べた形で作られていて、乾燥等により隙間がみられる。この算額は一関の関流九伝千葉胤規門人で当時和賀郡藤根村(北上市和賀町藤根)に開塾していた高橋半兵衛(半助)の門人15銘が奉納したものである。明治25年は和算塾の師であった高橋半兵衛がなくなって10年目にあたる年で、師の恩に感謝する意味で門弟たちが奉納した可能性が高い。明治25年段階でも、花巻北上地方で和算塾が経営されて多くの門人たちが学び、高いレベルを維持していたことがわかる貴重な史料である。