蒲生家伊予松山在城之節郭中屋舗割之図
がもうけいよまつやまざいじょうのせつくるわちゅうやしきわりのず
概要
寛永7(1630)年に重臣間の対立が激化する蒲生騒動が起こり、その2年後に福西吉左衛門など重臣が流罪や追放の処罰を受けるが、本絵図には処罰された重臣の屋敷が描かれていることから、蒲生忠知が松山に入部した直後の屋敷割を描いた絵図と考えられる。城山の本壇(天守曲輪)が現在の直線的な形状と異なり複雑な多角形になっており、初期の松山城の姿を示した絵図として注目される。
がもうけいよまつやまざいじょうのせつくるわちゅうやしきわりのず
寛永7(1630)年に重臣間の対立が激化する蒲生騒動が起こり、その2年後に福西吉左衛門など重臣が流罪や追放の処罰を受けるが、本絵図には処罰された重臣の屋敷が描かれていることから、蒲生忠知が松山に入部した直後の屋敷割を描いた絵図と考えられる。城山の本壇(天守曲輪)が現在の直線的な形状と異なり複雑な多角形になっており、初期の松山城の姿を示した絵図として注目される。
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