草庵
そうあん
概要
本堂や多宝塔が国宝に指定されている尾道の浄土寺は、聖徳太子の開創と伝えられる古刹です。文化年間(19世紀初頭)の築庭といわれるその庭園に、露滴庵という茶室があります。もとは伏見城内にあり、燕庵と呼ばれていました。本作品に描かれる緑に囲まれた露滴庵は、作者の塩出英雄が少年時代から慣れ親しみ、長く目になじんだ景色だったはずです。作者は茶道に造詣が深く、画業初期には茶事に関連した作品も多く残しています。直線によって構成された古建築は、あえて全体を見せず、明かり取りの白障子や様式化された樹木が、落ち着いた雰囲気の中にもモダンな感じを与えています。
福山市出身の塩出英雄は、姻戚関係にあった尾道出身の日本画家・片山牧羊に絵の手ほどきを受けたのち、1931年に帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)に入学。奥村土牛に師事。院展を舞台に活躍し、1961年日本美術院の同人に推挙されます。日本各地、ヨーロッパ、インド、中国などに旅行を重ね、画境を深化。母校の武蔵野美術大学でも、長年後進の指導にあたりました。