旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)
きゅうとくがわあきたけていえん(とじょうていえん)
概要
下総台地の最西端にあたり,江戸川とその左岸の低地に臨む松戸の戸定ヶ丘(とじょうがおか)の突端には,徳川幕府第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)の異母弟で水戸藩最後の第11代藩主であった徳川昭武(1853~1910)の邸宅とその庭園がある。戸定邸と呼ばれた邸宅とその庭園は,西方に広がる江戸川の川面を近景として,その遥か彼方に富士山をも遠望できる立地を活かし,主屋の南の緩やかに起伏する芝生地とその縁辺を彩る一群の植樹,西側の傾斜面の常緑・落葉広葉樹を中心とする豊かな樹叢などから成る風致に富んだ景観構成を持つ。
昭武は隠居した後の明治17年(1884)から同19年に居宅の建築,明治23年頃には庭園を含む敷地全体の造作をそれぞれ完了した。昭武が亡くなった明治43年(1910)以降は次男の武(たけ)定(さだ)が邸宅・庭園を譲り受け,第二次世界大戦後の昭和26年(1951)に松戸市に寄贈した。その間,昭武が手掛けた敷地の主たる地割に大きな変更が加わることはなく,築造当初の庭園の意匠・構成の特質は今日に至るまで良好な状態を維持し続けてきた。
借景を主体とする簡素で平明な意匠・構成は同時代の庭園の特質をよく表しており,芸術上の価値及び日本庭園史における学術上の価値は高い。