島田宿大井川川越遺跡
しまだじゅくおおいがわかわごしいせき
概要
S41-6-064島田宿大井川川越遺跡.txt: 箱根八里と並び称される大井川の川越は、わが国交通史上特異なものとして人口に[[膾炙]かいしゃ]している。[[川会所]かわかいしょ](川庄屋が詰めて徒渉事務を扱い旅人が川越の札を買った所)の建物は、現在大井川のやや上流、国道沿いに移されているが、用途に即した構造をよくとどめている。旧東海道沿いには川会所の跡地をはじめ、川越に伴う諸施設、たとえば川越人夫が札と現金を引き換えた[[札場]ふだば]や一番[[宿]やど]から十番宿に至る[[人足溜場]にんそくたまりば]などの遺構が街道をはさんで連なっている。
平成26年3月 追加指定・一部解除
島田(しまだ)宿(しゅく)大井川(おおいがわ)川越(かわごし)遺跡(いせき)は大井川の川越に係わる遺跡である。箱根八里と並び称された大井川の川越は我が国の交通史上重要なもので、大井川のやや上流に移されていた川(かわ)会所(かいしょ)の建物や、旧東海道沿いに存在する川会所の跡地をはじめ、札場や一番宿から十番宿に至る人足(にんそく)溜場(たまりば)などの川越に伴う遺構が街道をはさんで連なっていることから、街道を含むそれらの範囲が昭和41年に史跡に指定された。
その後、島田市教育委員会により、昭和45年には川会所の移築復元がなされ、昭和57年までに札場や仲間の宿、二番宿等の諸施設の復元が実施され、保存・活用が図られてきた。また、街道の整備や個人住宅改築に伴って島田市教育委員会により発掘調査が実施されてきた。
島田市教育委員会が史跡のさらなる保存・活用を図るため、文化年間作成の『東海道分間(とうかいどうぶんけん)延絵図(のべえず)』や明治17年作成の公図等と現地との照合を行ったところ、稲荷(いなり)神社(じんじゃ)や大堤、並木敷き等の存在を確認することができた。稲荷神社は、宝暦10年(1760)に川越人足が提唱し、水難防除のため奉斎したとされる八重枠(やえわく)稲荷神社で、大井川の堤防とともに『東海道分間延絵図』に記載され、川越遺跡の一部とみなすことができる。並木敷きについても土地の区画として確認することができる箇所があり、さらに二番宿(昭和47年復元)や三番宿(昭和48年復元)、荷縄屋跡の保全のため隣地を追加指定し、保護の万全を期すものである。
なお、昭和41年の指定時には、川会所は江戸時代の位置より北西約900mの場所に移されており、その敷地が指定されていたが、その後街道沿いに移築・復元されており、今後も史跡として保全する意味は喪失している。よって、その箇所について指定を解除するものである。