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苅田家住宅及び酒造場

かんだけじゅうたくおよびしゅぞうじょう

概要

苅田家住宅及び酒造場

かんだけじゅうたくおよびしゅぞうじょう

その他 / 中国・四国

当時の主屋は、宝暦2年(1752)の建築とされ、小屋組の工法や材の古さから、間口3間の土間と間口4間の2列の居室部分と推測される。当初の主屋の東側に取り付く3列目は玄関、本座敷がある。建築年代は未詳だが、東側2列分の居室部よりも明らかに新しいものとされる(18世紀末~19世紀前半)。 幕末の弘化4年(1847)には大改造がおこなわれ、屋敷の西端に新座敷が付加された。現在の構えは明治の改装であり、三階建の望楼も、明治期の作である。敷地西側、居宅と土蔵の間には庭園があり、鶴亀石や富士山を表現したとされる庭石が配されている。具体的な年代は不明だが江戸時代の築庭と推測される。町屋奥の酒造場の建物3棟(仕込蔵、壜詰場、酒蔵)については、弘化4年の家相図にみられることから、これらは江戸末期以前の建築である。北側の2棟(仕込蔵、壜詰場)と南側の1棟(酒蔵)との間には、東西に水路が通っている。これは当時の町屋境の溝であることから、創業時は北側の2棟のみであったと推測される。また、江戸時代には最高1300石余りをつくったとされることから、南側の1棟についても、かなり早い段階で建てられた可能性がある。東側の道路沿いには精米所がある。ここは明治23年(1890)の家相図では醤油蔵とあり、以前は醤油醸造も行われていた。南側の道路に面した裏門は、梁間2間の長屋門であり、酒蔵の西端まで続いている。間口15間半に及ぶこの町屋の構えは、格子・出格子・なまこ壁・袖壁・杉玉・煙出しなど、酒造りが盛んだった江戸期を偲ばせる風景を形成している。また、表の町屋と奥の酒造場を一体として江戸期の造酒屋の面影をよく残している。

津山市指定
指定年月日:20110823

記念物

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キーワード

仕込 / / 醸造 / 酒蔵

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