天神木像
てんじんもくぞう
概要
源平板屋町の本保兵蔵作とされる天神木像である。
箱書には「明治廿一年十二月下澣刻成/高岡源平板屋町/本保兵蔵所作」「菅公」とある。明治21年12月下旬の彫刻であり、高岡源平板屋町の本保兵蔵の仕事であると記されている。兵蔵は明治19年に既に逝去していることから、生前兵蔵がこの天神像の制作をほぼ仕上げていたものか、長男の兵右衛門または4男の兵吉が兵蔵没後に完成させたものと想像される。
本資料は、精巧な彫刻のうえに黒漆、金箔が鮮やかに残り、また髭や袴の模様、さらに刀の細部にいたるまで、細かく描きこまれている。
本保兵蔵(?~1886)は、高岡で江戸末期から昭和初期にかけて栄えた仏師一族の出身。本保屋は仏像・仏具以外にも、神社の神輿や獅子頭、天神像のほか、置物や衝立なども幅広く手掛けた。