鳥井原百万遍念仏供養塔
とりばるひゃくまんべんねんぶつくようとう
概要
嘉永6年(1853)の藩主斉彬の領内巡視の際に作成された『御道中記』(高城郷士の園田実徳が著した)に「一、小石塚有り 諺に霧島山東門の真中に当り、往古霧島山二の鳥居有る為の由故に此の辺を鳥居原と申し伝え候」とある。また、『高城町史』によると、昭和10年7月の指定当初には第15号墳の墳丘上に「石碑」があったと記述している。これらのことから、現在第15号墳の脇にあるこの石碑は、もとは墳丘上にあったと思われる。
とりばるひゃくまんべんねんぶつくようとう
嘉永6年(1853)の藩主斉彬の領内巡視の際に作成された『御道中記』(高城郷士の園田実徳が著した)に「一、小石塚有り 諺に霧島山東門の真中に当り、往古霧島山二の鳥居有る為の由故に此の辺を鳥居原と申し伝え候」とある。また、『高城町史』によると、昭和10年7月の指定当初には第15号墳の墳丘上に「石碑」があったと記述している。これらのことから、現在第15号墳の脇にあるこの石碑は、もとは墳丘上にあったと思われる。
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