三角浦の文化的景観
みすみうらのぶんかてきけいかん
概要
三角浦の文化的景観は熊本県中西部に位置し,三角ノ瀬戸に面して展開する。三角ノ瀬戸は水深が深く,湾内は比較的穏やかで暴風・波浪等の影響を受けにくいことから,古代より八代海(やつしろかい)と島原湾とを結ぶ南北方向及び九州内陸部と天草諸島とを結ぶ東西方向の流通・往来の結節点として機能してきた。
三角ノ瀬戸は変化に富んだ海岸地形を成しており,戦国時代に島津氏家老の上井覚兼(うわいかくけん)が和歌を詠むなど古くからの景勝地として知られてきた。近代になると小泉八雲(こいずみやくも)など文人墨客が文学の舞台としたほか,熊本を本拠とする第六師団の保養地に指定され,現在も別荘が立地するなど,三角浦は保養都市として機能してきた。
また,明治20年(1887)に内務省雇いのオランダ人技師ムルデルの設計により近代港湾が建設され,三角港は屈指の拠点港として隆盛した。築港と同時に計画的な市街地が整えられ,商業地区及び司法・行政地区等が設置された。道路・水路等から成る建設当初の都市構造を現在まで継承しながら,三角浦は港湾都市として機能してきた。
このように,三角浦の文化的景観は,保養都市及び特に近代以降に大きく発展した港湾都市という2つの都市機能が複合した文化的景観である。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)