古屋敷遺跡
ふるやしきいせき
概要
古屋敷遺跡は福島県北西部の会津盆地北西側に位置する、五世紀後半から六世紀初頭にかけての豪族居館跡である。会津盆地には盆地を西流する阿賀川があり、遺跡はこの阿賀川支流の濁川と田付川に挟まれた、周囲の氾濫原との比高3mを測る自然堤防上に位置する。遺跡は県営圃場整備事業に伴って発掘調査されたが、遺跡の重要性により保存が決定された。
遺跡全体は西側を幅4~9mの堀、東側を小河川、北側を低湿地で囲まれた東西230m、南北200mの微高地である。調査で確認された豪族居館はその中心施設である方形区画施設と、それに附属する倉庫群、祭祀跡等からなる。
方形区画施設は遺跡の南側と北東側の2箇所にある。南側の第1号方形区画施設は一辺が85mの大規模な正方形であり、幅3~4mの内堀と幅5~7mの外堀の二重の堀で囲まれた範囲である。堀の東西両辺の中央各一箇所に出入り口が設けられ、内堀には北辺3箇所、東西辺各2箇所、南辺3箇所の豪族居館跡に特有の張出し部分がある。堀の内側には柵列が巡り、出入り口に対応して交差し、東側出入り口部分には四脚門が設けられている。これらの区画施設は全体が真北方向を基準とした7.2m方
眼上にのっており、高度な設計技術に基づいて作られている。柵列の内側には一辺3~5mの竪穴住居跡20棟と建物跡1棟がある。北東側の第2号方形区画施設は東西方向で65mを測り、東辺は幅3~4m、西辺および南辺は幅6~7mの堀で区画されている。 南東隅からはさらに東に向かって堀が延びる。全体の構造がほぼ明らかになった第1号方形区画施設は二重の堀と柵列が外部との間をさえぎって、居館内部でも特別の空間であったことがはっきりと示されている。
遺跡の西側には掘立柱建物跡6棟、竪穴住居1棟の倉庫群が確認された。建物跡群は東に開くコの字形に配置され、2×2間総柱建物4棟、2×3間総柱建物1棟、2×3間側柱建物1棟からなる。遺跡南西端の低地からは、直径約3m、深さ1mの土坑が1基確認された。杯・高杯・鉢・壷・甑・器台等の多量の土器類や石製模造品、臼玉等が出土し、祭祀に使用された器物を廃棄した跡と推定される。
本造跡は阿賀川に沿った会津盆地の西側出口という経済・軍事的に優位な位置にあり、居住・貯蔵・祭祀等の各施設が良く残された豪族の居館跡である。濁川を挟んだ本遺跡の対岸1kmの尾根上には前方後円墳1基、円墳2基からなる天神免古墳群があり、本遺跡を拠点として阿賀川の北岸地域を支配した豪族が葬られているものと推測される。遺跡の構造の点では二重の堀によって区画された特徴的な区画施設をもち、規模の点でも有数を誇る。東日本の古墳時代の様相を知る上で欠くことのできない居館跡であり、よって、史跡に指定し保存をはかろうとするものである。