三岳城跡
みたけじょうあと
概要
井伊谷、伊平両村に跨る三嶽山々上にあり、宗良親王を奉ぜる井伊氏の本城にして親王此處に坐せしことあり東海に於ける官軍の最も重要なる根據地たりしが興國元年正月賊軍の攻略するところとなれり。
城構は山城に屬し主峯に主要部を置き其の東に連聯る稍々低き峯に亙って營まれ標高四百六十六メートルの主峯頂上を削平して本丸を設け南北兩面は其の急崖を利用し東面は施設比較的簡單なるも西面は最も嚴重に防備せられ斜面を階段状に削平して郭を設け所々に土壘、石壘を築く東峯にも亦遺構を存せり、此の地には後永正年間斯波義達、井伊直親の據りしこともあり現存の遺構中吉野時代以後の構築と推定せらるるものありと雖山頂に立てば西南方眼下に濱名湖の大半を一望の中に収め遠く新居舞阪方面も指摘することを得親王が井伊城に坐せし砌濱名の橋、橋本の松原を見渡して詠じ給へる御歌の御詞書に極めてよく適へり。