月夜の僧
つきよのそう
概要
圓鍔勝三《月夜の僧》
明治時代、圓鍔が生まれた御調町(現・尾道市)の辺りにはまだ彫刻という言葉はなく彫り物と呼ばれていたという。そんな中で「彫刻」を生涯の仕事にしたいと思った彼は、京都で欄間彫刻などを手掛けていた石割秀光の内弟子になる。そこでの修行時代、仕事をしていると毎朝、托鉢僧が5~6人やってきた。圓鍔は、苦労しながら家々を巡り歩く修行僧の姿に自分の修行生活と重なるものを感じていたという。
この作品では、その修行僧たちを中心に描いた。既に彫刻家として独り立ちした後の圓鍔が、修業時代を思い出し、その当時の気持ちをこの作品に託したのだという。この作品ように、絵本の一場面のような世界をそのまま形にするというのは珍しい表現だが、なかでも月を本当に空に浮べるといった表現は圓鍔ならでは独創的なものだ。三日月に照らされた山道は暗闇でこそないが不確かで、長い上り坂はどこまで続くともしれない。こんな修業で本当に彫刻家になれるのか?まだ若い圓鍔の不安や焦り、寂しさといった気持ちが伝わってくる抒情的な表現は、「具象彫刻に新たな造形を模索」したと評される圓鍔の、まさに代表作と言える。
【作家略歴】
1905(明治38)
広島県御調郡河内村(現尾道市)に生まれる
1921(大正10)
京都で欄間彫刻などを手掛ける石割秀光の内弟子となる
1926(大正15)
京都市立商工専修学校(彫刻科・デッサン科)、および関西美術院に学ぶ
1928(昭和 3)
上京。湯島の国民美術協会に下宿。日本美術学校に入学
1930(昭和 5)
第11回帝展に初入選
1932(昭和 7)
日本美術学校卒業。澤田政廣に師事
1937(昭和12)
神奈川県川崎市中原区小杉にアトリエを新築
1939(昭和14)
第3回文展に出品した《初夏》が特選。以後、文展・日展で4回特選を得て、1951(昭和26)年、日展審査員となる
1947(昭和22)
日本彫刻家連盟が創立され会員となる。多摩美術学校(現多摩美術大学)助教授
1950(昭和25)
現多摩美術短期大学教授。芸術選奨文部大臣賞
1956(昭和31)
広島市の広島平和記念聖堂にセメントによる欄間彫刻を制作
1965(昭和40)
《旅情》が日展で文部大臣賞を受賞
1966(昭和41)
日本芸術院賞を受賞
1970(昭和45)
日本芸術院賞会員
1988(昭和63)
文化勲章受章
1989(平成 元)
広島県名誉県民
1991(平成 3)
川崎市名誉市民
1993(平成 5)
広島県御調町に圓鍔記念公園・記念館開館
2003(平成15)
川崎市内の病院にて没