白米山古墳
しらげやまこふん
概要
白米山古墳は古墳時代前期の墳丘長約90mの前方後円墳である。古墳のある加悦町は,丹後半島のつけ根,天橋立のある宮津湾・阿蘇海にそそぐ野田川の中流域にあり,丹後地方でもっとも広い平野をもつ。古墳は東側の丘陵が野田川の形成した平野につきだした先端部分にある。史跡になっている蛭子山古墳と作山古墳群は,白米山古墳の北約1.5kmに位置する。
白米山古墳は昭和のはじめには存在が知られており,墳丘の測量が何度かなされ, 昭和62年には京都府の文化財に指定されている。その後,平成6年に国道176号線バイパスが古墳の脇に開通したことにより,道路沿いの開発が予想されるようになったため、保存を目的とする範囲確認調査を平成8年〜10年の3カ年にわたって加悦町教育委員会が実施した。
本古墳は,西方の平野部からの比高20mほどの小丘陵上に立地し,前方部を北に向ける。墳丘長約90m,復円部の直径約52m,高さ約8m,前方部の幅約31mの規模をもつ。前方部は先端でやや開く形態である。墳丘は二段築成で,前方部は後世の改変を受けているが全体に遣存状況がよく,復円部では葺石が墳頂近くまで残っている部分もある。復円部のテラス面には礫敷を施している。後円部では調査範囲で複数の主体部が認められたが、中心主体は第1主体とよぶ東西方向の竪穴式石室である。長さ約4mと推定され、天井石6枚を確かめている。この竪穴式石室への埋葬に際して、それを囲み前方部に開いたT字形に杭を打ち込んでいること、また復円部の縁辺に柱列をめぐらせていることが確かめられた。また、テラス面にも小石室や石棺などの埋葬施設が認められ、さらに墳丘の周辺には方形を基調とする小規模な古墳や、木棺墓や土坑墓が確かめられている。これらは、復円部西側の尾根上にある白米山西古墳群
とともに、白米山古墳の被葬者と同じ集団によるものと考えられ、共通の墓域となっていたものであろう。
白米山古墳は出土した土器から、古墳時代前期の中頃に築造されたものと考えられる。古墳時代前期でも未頃になると、前方後円墳の分布は広範に広がるとともに、大型のものも現れてくるが、前期前半から中頃の前方後円墳は数が限られており、また100m前後の規模をもつものはさらに少ない。そのなかで90mの規模をもつ白米山古墳は、この時期のものとしては丹後で最大であり、丹後地域における前方後円墳の波及を考える上で欠くことのできない重要な古墳である。よって史跡に指定し保存を図ろうとするものである。