信仰の悲しみ(関根正二筆 一九一八年/油絵 麻布)
概要
関根正二【しょうじ】は、福島県に生まれ、明治四十一年に上京し印刷会社に勤めるかたわら、大正二年ころから絵画の勉学を始めた。油彩は数か月太平洋画研究所に通いはしたがほとんど独学である。大正四年、甲信越地方に旅行し、長野で河野通勢【みちせい】に出会い強い影響を受けた。同年十月、二科展に「死を思ふ日」が入選したが、このとき特別出品されていた安井曾太郎【そうたろう】の滞欧作品を見て、色彩の重要性を認識するようになった。大正七年の第六回二科展では「信仰の悲しみ」ほか二点に樗牛賞【ちょぎゅうしょう】が与えられた。しかし、このころから健康を害し、翌年六月に二〇年と二か月の生涯を終えた。
大正時代には、類例を見ぬほどに個性的な画家が輩出したが、関根正二はこの時代における天才願望的な傾向を最もよく象徴する存在であるといえよう。「信仰の悲しみ」や「三星」「少年」といった作品は、技法的には未熟な点もあるが、熱っぽく輝くような独特の色調や特異な造形による強烈な表現力は、それを補ってあまりある。特に「信仰の悲しみ」は関根の代表作とされ、妊婦のような女性が行列するという、異常で幻想的な構成を採りながら、画面には真摯で澄明な美しさが漂っている。原題は「楽しき国土」だったともいわれるが、関根の宗教的な熱情は一宗派の教条とは関係なく、哀楽の渾然とした独自の深さを有した彼岸を表しているとの指摘もある。このように、本図は近代日本絵画中に類例のない、特異な生彩を放つ傑作として評価される。