西表島の節祭
いりおもてじまのしち
概要
節祭は八重山諸島をはじめ沖縄方面に行われている行事で、季節の折り目、年の折り目を表す祭りである。この折、当年の豊作を感謝するとともに来年の豊饒と人々の平安を祈願する。
西表島では今日祖納【そない】と星立【ほしだて】地区にこれが伝承されている。当地での由来は定かではないが、上演芸能の一つ「節【しち】アンガー」の踊りの成立について、西表の開祖慶来慶田城用緒【けらいけだぐしくようちよ】の一人娘が十五世紀の頃関わっていたという言い伝えがある。
祖納での行事次第は以下のとおりである。初日は「年の晩」といい各家庭での行事である。屋敷内外を清掃し、シチカッチャーと称するツル草を柱や家財道具、農耕用具その他にまきつけ、浜から運んで来た海岸に打ち上げられた小石を家の内外に撤き散らして魔払いをする。また悪魔除けの趣旨で七歳以下の子どもの首や手首・足首に白糸を結び付ける。この夜人々は年越しのフルマイといってごちそうを食べる。
第二日目を世乞【ゆうく】いと称する「海の彼方から豊年を漕ぎ招く」と言い伝えられている舟漕ぎ競争や、種々の芸能が繰り広げられる。早朝村の婦人たちは近年まで大平井戸【おおひらかー】へ行って若水を汲み祖先に供えていた。一方、ツカサたちは各御嶽【うたき】で世乞いの祈願を行い、一般の人々は公民館に集合してそこから前泊の浜へ旗を先頭に船子、ミリク行列の娘、節アンガーの婦人たちその他が行列していく。浜(船元の御座と称する)に到着すると、まず船を海に浮かべ、「ヤフヌティ」と称する櫂踊り(船子たちの集団舞踊)が踊られる。その後ミリクの行列行進などがあり、「船漕ぎ競争」となる。浜では婦女子がドラや太鼓の打奏に合わせて手を振り上げて応援する(ガーリと称する)。勝った方の船頭は浜に上がり「バチカイ(早使い)」の口上を述べ、引き続き「リッポー(牛狂言)」「ルッポー(馬狂言)」他の早口にしゃべりながらの一人狂言が演じられる。続いて黒布で頭をすっぽり覆ったフダチミと称する二人を中心にして、黒の上衣(スデナと称する)に水色の鉢巻をした婦人たちが輪を作り、優雅に「節【しち】アンガー」を踊る。この後「棒技」「獅子舞」があり、最後に棒や櫂を肩にかついだ船子たちの「節【しち】アンガー」踊りを踊って終了する。
三日目は「止留式【とどめ】」と称し、大平井戸の井戸さらいを行い、水恩感謝の祭りを行う。
以上のような次第は星立にても大体おなじように行われている。
当節祭は、本土の正月とは異なる時期に、正月と似たような次第を執り行う我が国南島の行事の特徴をよく示すものとして高く評価されており、各地伝承のなかで芸能の次第を最も豊富に持ち伝えているものである。また「節【しち】アンガー」踊りの中の「五尺手拭」の曲は江戸時代本土で大流行した曲であるなど、芸能の変遷の過程を知るうえで貴重な伝承である。
なおこの節祭は昭和五十三年に記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財に選択されて調査記録の作成等が行われた。このことを通じこの伝承の重要性が確認されたものである。
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国指定文化財等データベース(文化庁)