松本城天守 辰巳附櫓
まつもとじょうてんしゅ たつみつけやぐら
概要
松本城天守 五棟
松本城の地は室町時代中期から武士の居館のあった所と伝え、永正元年(一五〇四)にここに深志城が築かれたのが城郭の始めであるという。その後小笠原氏により松本城と改められ、城郭の拡張も行われた。さらに天正十八年(一五九〇)この地に封ぜられた石川数正はただちに改修に着手したが、文禄二年に没したので、その子康長がこれを継ぎ、天守を築き城郭を整備した。現存の天守はこの時のもので、文禄三年(一五九四)から慶長四年(一五九九)にかけて造営されたものと思われる。その後寛永年間(一六二四~四四)に大増築があり、辰巳附櫓、月見櫓の新築が行われて現在の姿に整えられ、明治維新後にも幸いに天守の一郭は取り壊しをまぬがれて今日に至っている。
松本城の天守は現存の天守のうちでは規模の大きいもののひとつであり、年代的にも古い例である。いわゆる平城であって、勾配の緩い石垣の上に立つ五重六階の天守である。北と東に乾小天守以下の諸建物をしたがえ、平面の上でも立体的にも、非常に変化に富んだ姿をしている。しかも各建築とも屋根には唐破風や千鳥破風を設けた巧みな意匠になり、かつ壁面に板張りがあるなど、古い形態を残している点もある。わが国城郭建築の中でも特に重要な位置を占めるものである。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)