白帆注進外国船出入注進
しらほちゅうしんがいこくせんでいりちゅうしん
概要
「白帆注進外国船出入注進」は、江戸時代を通して長崎警備を担当した佐賀藩が作成した資料で、乾、坤、無題の三冊からなる。天保15年(1844)から慶応4年(1868)まで長崎港に入港した艦船などについての記録で、合計208隻以上もの船の絵が描かれている。平成22年、同資料中に描かれた船の一つが伊予大洲藩が所有し、坂本龍馬にゆかりのある「いろは丸」であることが確認された。手がかりとなったのは「四国船」との記述や大洲藩主加藤家の家紋「赤地に白の蛇の目の紋」の船印などである。いろは丸はイギリス製のスクリュー式蒸気船で、慶応3年(1867)、坂本龍馬率いる海援隊が借り受け、長崎から大坂に向けて瀬戸内海を航行中、紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し沈没したことで有名である。これまでいろは丸が描かれた同時代の資料は皆無であり、唯一の絵画資料といえる。