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紙本著色黄瀬川陣〈安田靫彦筆/六曲屏風〉

しほんちゃくしょくきせがわのじん〈やすだゆきひこひつ/ろっきょくびょうぶ〉

概要

紙本著色黄瀬川陣〈安田靫彦筆/六曲屏風〉

しほんちゃくしょくきせがわのじん〈やすだゆきひこひつ/ろっきょくびょうぶ〉

日本画 / 昭和以降 / 関東 / 東京都

安田靫彦

東京都

近代/1940/1941

紙本著色 屏風装

各 縦 166.8センチメートル 横 370.8センチメートル

一双

東京都千代田区北の丸公園3-1

重文指定年月日:20110627
国宝指定年月日:
登録年月日:

独立行政法人国立美術館

国宝・重要文化財(美術品)

 安田靫彦(一八八四~一九七八)は、明治十七年(一八八四)東京に生まれ、同三十一年小堀鞆音に入門した。同四十年第一回文展に際し、岡倉天心の指導を受け、奈良に遊学するが病を得て帰郷、療養生活を送った。この間も制作に励み、同四十一年「守屋大連」(愛媛県美術館)を、第六回文展に「夢殿」(東京国立博物館)を発表。大正三年(一九一四)再興日本美術院創立同人となり、「御産の禱」(東京国立博物館)を出品、この間画業が大きく進展した。同十一年第一回帝展に「役優婆塞」(群馬県立近代美術館)、同十三年第二回新文展に「孫子勒姫兵」(霊友会妙一記念館)を発表、古典、古美術に想を得た高雅な作品を次々と制作し、この間帝国美術院会員等に選ばれた。
 「黄瀬川陣」は、このような画業の充実期に、先ず左隻が昭和十五年十一月紀元二千六百年奉祝美術展覧会に「義経参着」として発表され、翌年九月右隻とともに「黄瀬川陣」として第二十八回院展に出品された。
 本図は、治承四年(一一八〇)平家追討の兵を挙げた源頼朝が、十月駿河国黄瀬川に到り、奥州より参じた源義経に対面したさまを描いたものであり、必要最小限の背景を伴う構図に澄明な彩色を用いて高い画品を備えた作品に仕上げている。これは靫彦の技法をも含めた古画学習の成果及び古典、古美術の鑑賞を通じて形成された絵画観に負うところが大きい。
 本図の制作に際し参照した作品として「伝源頼朝像」(神護寺)や「平家納経」(厳島神社)、「蒙古襲来絵詞」(宮内庁三の丸尚蔵館)等があり、また武具についても赤糸威鎧(御嶽神社)等に取材している。ただし、義経の大鎧において紫裾濃威鎧(御嶽神社)に紺糸威鎧(厳島神社)の太刀懸の蝙蝠付の裏の画韋を組み合わせるなど、靫彦の理想の武具が創造されている。このような創作は絵画の引用において洗練され、頼朝の姿態は「蒙古襲来絵詞」の安達盛宗のそれに取材するが、白い高麗縁に爽やかな白緑色の置畳の典拠は「源氏物語絵巻鈴虫二」(五島美術館)にあり、殺伐とした合戦絵をより古様な物語絵の技法によって、典雅な趣を持った絵画として再生しようとする靫彦の意図があらわれている。
 本図は、古典に取材した画題を必要最小限の洗練した構図にまとめ、これを澄明な色彩感覚とそれを遅滞なく表現する着実な技法によって大画面に結実させたものであり、靫彦畢生の大作であるにとどまらず、昭和期の日本画を代表する作品として評価される。

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