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齋藤氏庭園

さいとうしていえん

概要

齋藤氏庭園

さいとうしていえん

名勝 / 東北 / 宮城県

宮城県

石巻市

指定年月日:20050714
管理団体名:石巻市(平21・3・5)

史跡名勝天然記念物

 齋藤氏庭園は石巻平野の北西部に位置し、旧北上川右岸の沖積平野の縁辺部、地域の最高地点を成す旭山(標高173.8m)の北麓に所在する。
前谷地黒沢の齋藤氏第2代善兵衛は享保年間(1716〜1735)に酒造業をはじめ、その後代々家業を盛り立て、第7代善次右衛門のときに現在の屋敷地の基礎を成した。第9代善右衛門(1854〜1925)は明治22年(1889)に酒造業を廃業し金穀貸付業を家業の主力としてさらに家勢を極め、山形県の本間氏、秋田県の池田氏と並ぶ大地主となった。
このような資産家でありながら善右衛門の生活は質素であり、地元において小学校・公会堂の建設、鉄道の敷設等に費用を拠出するなど地域の発展に尽力したのみならず、広く学術研究、産業開発、社会改善等の各種事業に多額の寄付を投じた。また、邸宅地続きの森林を逍遙するなど自然観賞を好み、太平洋を遙かに望む絶景の丘陵頂部を開運山と名付け、明治44年(1911)にはそこに無一庵という簡素な別荘を築いて、明治35年(1902)に造営した黄金岡の清楽亭・清楽園とともに四季燕息の所とした。邸宅に造営された主庭園は、近世からの地割を活かしつつ、酒造業廃業を機会として邸内の土蔵等を整理し、清楽亭・無一庵の造営とともに明治30年代から40年代にかけて新たに拡張し、簡素に整備されたものである。
邸宅は、南西に延びて旭山に連なる緩やかな丘陵地を背後に控え、東向きを正面とする。敷地には、慶応元年(1865)の家相図に描かれている広間建物、味噌蔵、前土蔵、後土蔵、前倉庫、後倉庫の6棟の建物が原位置のまま現存し、邸宅中心部の構成を良く伝えている。農地解放の影響により多くの使用人への賃金支払い等のため昭和23年には主屋及び清楽亭・無一庵は解体され、敷地南東隅の区画に大正10年に建築された建物を主屋の位置に移築した。庭園の主たる地割は、主屋南側の小さな園池を伴う平庭と屋敷地最奥に斜面を背後に建つ広間建物の前面の平庭及び南北にそれぞれ園池を配した構成としている。明治34年(1901)の家相図によれば、旧主屋の南庭と広間建物周辺の庭園は塀で区切られている。広間建物周辺には、砂敷の平庭を成す東庭と大池を有する南庭が往時の地割のまま現存する。東庭には東西方向と南北方向に据えられた大きな切石の延段を設け、南庭は広間を視座として園池西岸からの岬、池中の岩島、園地対岸の築山が並ぶ構成としている。さらに大池の南側に設けられた石段は、丘陵の黄金岡・長者林・開運山に通じる通路を成す。広間建物北側の斜面麓には宝泉窟と呼ばれる奥深い岩窟があり、ここから生じる湧泉は園池の水源ともなっている。
邸宅部分の庭園は、丘陵の斜面を背にして広間建物を景観の中心に置き、その周囲に平庭、園池を配するのを地割の特徴とし、背後の樹林が季節とともに様々な色彩を展開するもので観賞上の価値は高い。また、邸宅から開運山に至る丘陵地を一体の空間として散策・観賞を楽しむ構成は、近代の庭園のうちでも特色あるものとして学術上の価値は高い。このうち今回は、本邸の庭園及び黄金岡の一部を名勝に指定。

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庭園 / 園池 / /

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