大室古墳群
おおむろこふんぐん
概要
大室古墳群は長野県市街の南東約六キロメートルに所在し、前方後円墳一基を含む五世紀前半から八世紀にかけて築かれた合計五〇〇基以上の古墳からなる。古墳は、千曲川の南側の丘陵から派生する三つの屋根上と、それに挟まれた二つの谷部に立地し、標高は三五〇から七〇〇メートル、約二・五キロメートル平方の範囲に分布する。古墳群は、西から金井山、北谷、霞城、大室谷、北山の大小五つの支群に分かれ、さらに各支群は十数基あるいは数十基の小支群に細分される。今回指定する大室谷支群は、約二四〇基の古墳で構成され、支群としては最大の規模をもち、発掘調査によってその内容が判明している。
本古墳群は大規模であることに加えて、二つの大きな特徴をもつことで学界では著明である。その一は、墳丘を石を用いて構築した、いわゆる積石塚が古墳群中の大半を占めていることである。昭和二十年以降、栗林紀道が精力的に行った基礎的な分布調査と、昭和四十五年から長野市が実施した分布調査の結果によると、総数五〇五基の古墳のうち、積石塚は四〇〇基以上存在し、特に谷部にある北谷支群、大室谷支群に集中して分布することが明らかとなった。積石塚の墳形は、ほとんどが直径一〇メートル程度円墳であるが、長方形墳の形態をとるものも存在する。わが国では極めて稀な存在である積石塚が、これだけ多く密集する古墳群は国内には他に存在しない。
その二は、埋葬施設として横穴式石室あるいは箱式石棺が主体をなす本古墳群の積石塚のなかに、合掌形石室と呼ぶ特異な構造を備えたものが存在することである。石棺・石室の天井部に板状の石を三角形の切妻屋根型に組み合わせて架設した合掌形石室は、全国で四〇例ほどしか知られておらず、一基を除くすべてが長野県の善光寺平に分布する。しかも二五基が大室古墳群に集中している。
昭和五十九年から、明治大学考古学研究室は、特に大室谷支群を調査対象区域として、約三〇基の古墳の発掘・測量調査を実施してきた。その結果から、各小支群には合掌形石室をもつ古墳が一基から二基含まれると推察されている。また、出土遺物の検討からは、合掌形石室墳の築造は五世紀の中葉には始まっており、小支群を構成する古墳のなかでは、最初に採用された墳墓形態であることも明らかとなった。
出土遺物は、土師器・須恵器・珠文鏡・短甲・馬具・鉄鍬・刀子・玉類・馬骨等で、なかでも馬具が多いことは本古墳群の特色といえる。馬骨は頭骨のみであり、横穴式石室の前庭部に多量の土師器・須恵器と共に土坑に埋納されていた。
このように、大室古墳群は日本最大の積石塚古墳群として重要である。また、積石塚は高句〓(*1)の墓制と、特徴的な合掌形石室は百済の墓制との関係を指摘する意見もある。
さらに、馬具・馬骨等の馬に関係する出土遺物が多いことは、本古墳群の被葬者が古代の馬匹生産に深く関わっていたことを示唆し、『延喜式』にある信濃一六牧のひとつ「大室牧」の存在とも符合するとともに、古代の官牧の発生に関しても貴重な資料を提供した。よって、史跡に指定し、その保存を図ろうとするものである。