絹本墨画白衣観音図〈正悟筆/〉
けんぽんぼくがびゃくえかんのんず
概要
白衣観音は密教の一尊に数えられ、すでに唐代には盛んにえがかれていた。儀軌には白蓮華中にあって髻、冠を白衣で覆い、左手で開敷蓮華を持つ、とある。これが水墨画によってえがかれる場合には、樹石、山水が配されるなど鑑賞性が加味されることが多いが、本図は水中よりつき出た岩座の上、円相中に端坐するところがえがかれるだけで背景はなく、なお礼拝の対象としての性格が保たれている。
賛者は曹洞宗宏智派の禅僧、雲外雲岫(一二四二-一三二四)で、法弟の東明慧日、法嗣の東陵永〓はともに来日しており、わが国にもその名はよく知られていた。同僧は智門寺、天寧寺、天童山景徳寺と歴住しているが、本賛では「天童雲岫」と称しているところから、晩年の十年ほどの間の着賛であることがわかる。
描法では観音の細く柔らかな描線と、岩の飛白様の粗い表現との対照が面白いが、同じような岩の表現はこれにややおくれる墨蘭の専門画家、雪窓に受けつがれている。本図の岩の間には「正悟」と読める隠し落款がある。名前からすると禅僧、もしくはその周辺の絵師かと思われるが、伝歴は一切、不明である。
雲外雲岫が歴住した禅寺は杭州湾の南側に位置するが、湾外の舟山列島には補陀落霊場があり、本図もそうした信仰の所産といえよう。