旧江戸城写真帖(六十四枚)
きゅうえどじょうしゃしんじょう(ろくじゅうよんまい)
概要
旧江戸城写真帖(六十四枚)
きゅうえどじょうしゃしんじょう(ろくじゅうよんまい)
歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 明治 / 関東 / 東京都
東京都
明治/1871
1冊
東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
重文指定年月日:20000627
国宝指定年月日:
登録年月日:
独立行政法人国立文化財機構
国宝・重要文化財(美術品)
太政官少史・蜷川式胤<にながわのりたね>(1835~82年)が写真師・横山松三郎と絵師・高橋由一<ゆいち>の協力を得て、明治4年(1871)に作製した旧江戸城の記録写真集である。
撮影技法は湿式コロジオン法で、この方法はダゲレオタイプやカロタイプなどの初期の技法に比べて、感光能力に優れ、取り扱いも簡便であった。印画紙は鶏卵紙<けいらんし>を用い、画像が鮮明で保存性もよいので当時の写真家たちによって広く用いられた。この写真帖でも第31図「本丸重箱櫓中ノ渡門図」の左端下方に型押しされた「No68BFKRives」によってフランス製の鶏卵紙を用いていることが知られる。
現状は、厚い台紙2枚を横に貼りつないで4頁の独立した丁とし、全部で16丁、64頁を重ねる。そして各頁に1枚ずつ四つ切り判の焼付写真を貼る。さらにこの32枚になる台紙をくるむようにクロス張りの表紙をつけ、アルバム様の体裁のものにする。写真には、蜷川の筆により第1図から第64図まで墨のペン書きで順番が記入されており(城内中心部から周辺の各見附<みつけ>に向かって主要な地点を網羅)、主要な建物や場所については同筆で画面上に注記され、全写真には高橋由一により淡彩が施されている。また「東京之図」「東京城図」の地図2枚は、見返しの表と裏に糊付けされており、後者には「明治四年辛未写生之 蜷川式胤」の款記と「宮道(蜷川の旧姓)式胤」の単廓朱方印が捺されている。
撮影に至る趣意は見返しに付された蜷川の太政官への伺書控によって知られ、「破壊ニ不相至内、写真ニテ其ノ形況ヲ留置」ことは「後世ニ至リ亦博覧ノ一種」になるという。さらに蜷川、横山、高橋らは、翌明治5年に奈良、京都の古社寺と正倉院の宝物調査(壬申検査)を行い、多数の記録写真を残した。
このことは写真帖製作を通じて、写真による記録保存の方法が文化財保護に対して有効であることが証左されたといえる。
つまり本写真帖の製作は、当初から対象が文化財として認識されており、その記録に写真をいち早く採り入れたことで、わが国写真史上に価値が高いだけでなく、近代文化財保護の原点ともいえる点で貴重である。