防長土図
ぼうちょうどず
概要
防長土図
ぼうちょうどず
歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸 / 中国・四国 / 山口県
山口県
江戸
109個
山口県立山口博物館 山口県山口市春日町8-2
重文指定年月日:19930120
国宝指定年月日:
登録年月日:
山口県
国宝・重要文化財(美術品)
防長土図は、明和四年(一七六七)に萩藩【はぎはん】が同藩郡方地理図師有馬喜惣太【こおりかたちりずしありまきそうた】(一七〇八-六九)に制作させた藩領全域の立体地形模型である。
土図は、防長両国(現在の山口県)の本土などを大きく分割した「切」と称される模型一七個と、周辺の島々九二個の模型から成る。「土図」の呼称が示すように地形を土型で作り、その上に紙を張り重ねて制作するが、大型のものは張り抜きとし、小型のものは土型を抜かずに彩色等を加えている。平面の縮尺は五寸一里(二五九二〇分の一)、垂直倍率は約五倍で、全体として地勢をよく表現している。切全部を接続すると南北最大三メートル、東西最大五メートルに及ぶ。彩色は、山を淡緑色、平地および谷筋を薄桃色、海岸の砂地を白色、水系を濃青色、境界線を黒線、道路を朱線で表す。集落、寺院、神社、一里山、役所等の施設は黒または朱の記号で記入し、地名、寺社名等は貼紙で表す。
萩藩は享保十一年(一七二六)より藩全域の村絵図である「一村限明細絵図【いつそんきりめいさいえず】」の編纂事業を実施した。有馬喜惣太は藩絵図方の雇としてこの事業に従事する傍ら、長年地図・絵図類の制作を担当し、その功により士分に取り立てられた。土図の制作にはこの間の調査成果が十分に生かされている。藩の記録である「当職所日記【とうしよくしよにつき】」明和四年六月四日条には「此度仰せ付けられ候土図、有馬喜惣太へ御預け、御矢倉に差し置かれ候」とあり、土図が藩命によって制作され、完成後萩城内に保管されて喜惣太が管理に当たっていたことが知られる。廃藩後山口県に移管され、現在に至っている。
近世の立体地形模型は境相論に際して作成されたものの現存例があるが、土図は一藩の事業としてその領国を鳥瞰しようとした立体の国絵図ともいうべきもので、全国に類例を見ない。また、多様な自然的・人文的要素を大縮尺の立体図の中に過不足なく盛り込んだ有馬喜惣太の力量には見るべきものがあり、わが国地図発達史上特筆されるものである。
附とした長持三棹と櫃一合は、切と島とを収納するためのもので、いずれも身側面に「明和四亥四月 有馬喜惣太預り」と墨書がある。土図制作当初の容器としてその由緒を伝えるものであり、併せて保存を図ろうとするものである。