通潤橋
つうじゅんきょう
概要
蘇南外輪山南側の丘陵に広がる通潤用水の一部をなし、嘉永7年(1854)に建設された石造水路橋。四方を谷で隔てられ、水源に乏しい白糸台地を潤すため、近世最大級の石造アーチを渓谷に架け渡し、鞘石垣、裏築等の技術を駆使して耐震性を高めた精緻な高石垣と、耐久性に優れた石管からなるサイホンを一体化した、技術的完成度の極めて高い、近世石橋の傑作。この比類ない技術は、地域社会が社会資本整備を牽引する役割を担った江戸後期及び末期において、企画立案から完成に至るまで卓越した事業遂行能力を発揮した熊本藩領の手永役人と当時最高水準の技術力を誇った石工集団が、実験や藩との協議を繰り返す中で創出したものである。通潤橋はこれら営みの優れた所産であり、近世水利土木施設の到達形態の一つを示すと共に、江戸末期に九州で興隆した石橋文化を象徴する土木構造物として、深い文化史的意義が認められる。