集目録〈藤原定家筆/〉
しゅうもくろく
概要
藤原定家がみずから書写あるいは校訂に関わったと考えられる私家集の名を自筆で書き上げたものである。
切紙の楮紙二枚を料紙とし、首に「集目録」と内題を書き、本文は前後段に大別し、各行二段に書名を掲げている。前段には「光孝天皇」以下天皇皇族等の家集名十一件を天皇八、親王三、歌合一の順に列記し、ついで行を明けて後段には「菅家」以下七十三名の貴族官人、僧俗等の家集名を貴族官人四十一、僧侶四、女流家人二十八(ただし「あまのてこら」を含む)の順に書き上げ、さらに巻末には「西行四帖」以下十二件(官人三、僧侶一、その他八)を小字にて追記している。本文は巻末の追記に至るまですべて定家晩年の筆と認められるが、文中には加筆注記などのほか、擦消の跡がみえる。
ここに掲げられた家集は、平安から鎌倉時代前期までで、光孝天皇、大江千里から藤原俊成、後京極良経などの定家の身近な人々に至るが、これらのうち「菅家(道真)」「御子左大納言(長家)」「小弁」などは、いずれも現在伝本のみえない家集である。また、人麻呂、赤人らの万葉歌人の集名がないこと、平安時代前期の歌人のものが少ないことなどの特徴があげられる。
定家がこの集目録を書き上げた時期や目的は詳らかではないが、文中には「源木工頭」(散木奇歌集)など定家書写本独自の書名を有するものがみられること、「発心和歌集」以下三十集余は定家の書写本もしくは校訂本の存在が確認され、そのほかにも定家本の存在したこととが知られるものがあるので、本目録は定家自身が書写・校訂に関わったか、あるいは蒐集した私家集名を書き上げたものと考えられる。鎌倉時代初期における私家集の存在状況を示すとともに、定家の歌学研究の跡を伝えて、国文学史研究に注目される。
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