仏本行集経 巻第三十三・巻第三十四・巻第四十九(五月一日経)
ぶつほんぎょうじゅっきょう
概要
天平12年(740)5月1日、光明皇后(701〜760)が父藤原不比等と亡母県犬養三千代の追福のために敬写した一切経の一部をなすもので、奥書願文の日付から「五月一日経」と通称される。正倉院文書によれば、この写経事業は願文の日付を遡る天平8年、皇宮宮職の写経所で始まったものの、奥書にある天平勝宝元年(749)頃まで、15年前後にわたって行われたらしく、つごう7000巻余りの経巻が書写された。現在正倉院聖語蔵に750巻、巷間に約250巻が伝存し、本館にも本経を含め『増一阿含経』巻第十二(図108)、『瑜伽師地論』巻第二十四、『十誦律』巻第五十六、『仏説中陰経』巻下など8巻が蔵される。
白麻紙、または黄麻紙を継いで1行17字詰、細く逎勁で、謹厳端正な書風によって書写されており、書風に関しては、装飾を施さない、いわゆる素紙経においてこの「五月一日経」が当代随一である。本巻巻末に中国隋(581〜617)の清河長公主の旧跋文の写しを記し、この公主については他に見えぬことから『隋書』の欠を補うものとして重視されるほか、この種の旧跋文をそのまま書写することは類例がなく、明らかに隋経を写したものとして、写経研究上はなはだ貴重である。
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