光明寺寛保津波の碑
こうみょうじかんぽうつなみのひ
概要
・寛保元年(1741)7月16日、日本海上に浮かぶ大島が大噴火し、19日早朝、津波が来襲しました。この津波は、松前弁天島から熊石町までの諸村に大被害をもたらし、溺死するもの1467人、家屋倒壊790戸、破船大小1521艘にのぼりました。
・松前藩の記録『福山秘府』によれば、同年8月18日、光善寺の発願により各寺院の僧が集まり、現在の光明寺境内に卒塔婆を建て施餓鬼供養を行ったとされています。
・この供養塔は、翌年、光善寺が供養のため無縁堂を建立した時、卒塔婆に代え建てられたとされています。
・この碑は、3.79mの高さがあり、正面に「南無阿弥陀仏 為 洪波溺死 諸霊菩提」の文字が、両側面と背面には建立者と忌日(津波の日付)が刻まれています。
・大津波の惨状を今に伝える歴史的資料として貴重なものです。