三井三池炭鉱跡
宮原坑跡
万田坑跡
専用鉄道敷跡
旧長崎税関三池税関支署
みついみいけたんこうあと
みやはらこうあと
まんだこうあと
せんようてつどうじきあと
きゅうながさきぜいかんみいけぜいかんししょ
概要
三井三池炭鉱跡
宮原坑跡
万田坑跡
専用鉄道敷跡
旧長崎税関三池税関支署
みついみいけたんこうあと
みやはらこうあと
まんだこうあと
せんようてつどうじきあと
きゅうながさきぜいかんみいけぜいかんししょ
2県以上
福岡県大牟田市宮原町、熊本県荒尾市原万田
指定年月日:20000119
管理団体名:
史跡名勝天然記念物
三池炭坑は、明治6年に官営となり、大浦坑、七浦坑、宮浦坑、勝立坑等を主力坑として施設の近代化が進められたが、明治22年に三井組に払い下げられ、団琢磨を指導者として経営の拡大が図られた。明治期に宮原坑、万田坑、大正年間に四山坑が開鑿されて我が国最大の炭坑に発展した。採掘された石炭は炭坑専用鉄道によって大牟田市の石炭化学工場や三池港へ運搬された。昭和14年に三川坑が開かれたが、戦後の昭和30年代に三川坑を舞台に発生した大規模な労働争議とエネルギー政策の転換の後、産炭量は次第に減少した。
石炭鉱業は、日本の近代史において歴史的に大きな役割を果たした産業であり、炭坑に関する遺跡は、我が国の近代産業の歴史を理解するために欠くことのできない遺跡である。多くの炭坑施設が姿を消した今日において、なお良好に保存されている三井三池炭坑跡の宮原坑跡と万田坑跡を史跡に指定し、保存の万全をはかるものである。
平成25年3月27日追加指定分
今回、追加指定を行うのは、宮原坑跡・万田坑跡のそれぞれ既指定地の隣接部分、及び炭鉱専用鉄道敷跡である。宮原坑跡では、既指定地の西側及び北側を追加指定する。大牟田市教育委員会が平成22年に既指定地の西側を発掘調査した結果、汽罐場のものと考えられる排煙用煙突2基や煉瓦建物の基礎部分を、同北側では構内軌条跡を検出し、宮原坑に関わる施設が地下に良好に遺存していることが判明した。
万田坑跡では、荒尾市教育委員会が平成23年度策定の保存管理計画に基づき、既指定地と同等の価値を有する採炭に深く関わる区域、すなわち、汽罐場跡と第一竪坑坑口周辺及び沈殿池と給水池跡の地区を追加指定する。汽罐場跡は煙突等の地下遺構が残る。第一竪坑坑口周辺の施設は閉山後に解体されているが、昭和14年頃の配置図より、巻揚機室、鍛冶場、鋳物場、溶接場、電動機修繕室等と考えられる遺構が現存する。沈殿池は構内排水を一時溜めて上水を流す機能を有し、沈殿池とつながる給水池は汽罐場のボイラーへ水を供給するものであった。
一方、炭鉱専用鉄道は、石炭や炭鉱関連資材の運搬を目的に造られた。本線は全長約9.3キロメートル、大牟田・荒尾両市域に展開した炭鉱の各坑口や関連工場を網の目状に結び、炭鉱輸送の動脈的役割を果たした。官営時代の明治11年に竣工した馬車鉄道に始まり、三井に払い下げ後の同24年、横須・平原間に蒸気鉄道が開通し、坑口の変遷とともに延長され、馬蹄形の路線になるとともに、社宅群とも支線でつながり、最盛期には総延長約150キロメートルに及んだ。同42年からは順次電化された。閉山に伴い廃線となり、線路等の施設は撤去された。今回追加指定を行う箇所は、宮原坑北東の大牟田市青葉町から、宮原坑、万田坑を経て、荒尾市四ツ山町に至る約4.5キロメートル分の本線鉄道敷である。敷設年は、宮原・万田間は明治33年、万田・四山間は同38年である。既に線路等は撤去されているが、宮原・万田両坑に接し、三池港に至るまで線路に勾配がつかないように工夫された谷状の切土造成、丘状の盛土造成、橋台等構造物が良好な状態で遺存する。
このように、宮原坑跡及び万田坑跡の指定地周辺に広がる採炭に関わる施設群は、両坑と一体的な価値を有するものである。また、炭鉱専用鉄道敷は、三池炭鉱の石炭等の運搬施設として重要な役割を果たした施設である。いずれも三井三池炭鉱跡を理解する上で重要なことから、追加指定するとともに名称を変更し、保護の万全を図ろうとするものである。