九年庵(旧伊丹氏別邸)庭園
くねんあん(きゅういたみしべってい)ていえん
概要
佐賀平野の東部に位置する神崎町の北端、脊振山にかかる谷間の小高い台地に、「仁比山神社」がある。元は天台宗「仁比山護国寺」である。明治初期の神仏分離令により寺院は廃され,、神社境内は維持されたものの、寺院境内は荒廃の一途をたどった。
時期は明確ではないが、佐賀県の大実業家にして後に貴族院議員もつとめた伊丹彌太郎は、旧寺院の塔頭「不動院」跡を中心とする土地を購入し、明治二十五年、ここに別荘(書院)を建築した。続いて、同三十三年から四十一年にかけて約九年を費やして庭園と茶室「九年庵」を築造した。
その後、久留米の人で、後の「月星ゴム」の創始者、倉田泰蔵の所有・管理するところになったが、昭和五十八年以降、佐賀県の所有となり維持管理が行われている。
石垣と石段で南北二段に区切られた旧塔頭の敷地は約六、七〇〇平方メートルの広さをもち、北と西は山と急崖に囲まれ、東は神社参道に石垣および生垣を挟んで接している。南は筑後平野へ向かって広く開けている。
旧塔頭の敷地を見事に利用し、上下二段に書院、茶室、池庭、平庭を巧みに配している。上の段には、南北にやや雁行型の書院を設けている。一部に改変の跡があるが明治期の数寄屋建築として多くの特色を有している。書院の西側には南北に連なる二段の池庭を設けている。北池に近く茶室「九年庵」を設けたが、現在は、〓額(*1)と材料は保存されているものの、基礎と井戸を残すのみである。
下の段には、上の段の池から落ちる水を、西の山裾の流れとし、全体に、低い庭石を配した「平庭」を設けている。中央に四阿を設けているが、現在は跡のみを残す。
このように、上下どちらの段でも静謐な庭の四季と典雅な茶事を楽しみ、眼下はるかな筑後平野と有明海の眺望をほしいままにできる。
庭園は、久留米が生んだ名作庭家、誓行寺住職・阿理成の手になるものであり、近年惜しくも消滅した熊本市の「東雲楼庭園」とともに彼の代表作である。久留米市を中心に残された彼の作庭からみて、奇を衒うことを極力排し、石、樹木、水の自然のよさを存分に発揮させるという作庭精神が十分にうかがわれる庭園である。
古い寺院の歴史の跡を継承し、明治時代の特色をもつ庭園と建築が共に保存されており、かつ周囲の自然環境・自然景観も一体となってよく維持されており、庭園史上のみならず庭園を主体とした文化史上きわめて価値が高い。