久能山
くのうざん
概要
久能山は有慶丘陵中にあり、南面は急崖をもって駿河湾に接し、東西両面は峽谷深く穿入し、北方は屏風岩をもって日本平の高地と隔てられ、独立した一境地をなしている。
山頂部には、もと久能寺があって、その盛況は、或いはいわゆる久能寺経の華麗さに、或いは海道記の叙景によくうかがうことができ、東海における霊地であった。しかるに永禄年間、武田信玄駿河に侵入するや、この地の天険に着目し、寺を他に移して久能城を築いた。江戸時代においていわゆる甲州流の軍学を唱うるもの、ここを名城として推しているのは、盖し山城としての典型的な地形を備えているためであらう。武田氏の滅亡後、城は徳川氏の有に帰し、家康ここに城番を置いたが、元和2年4月、家康駿府に薨ずるや、遺命により当山上に葬った。翌3年東照大権現の神号を賜り、ついで日光に移したが、爾来祭祀は日光東照宮と相並んで行われ、壮麗な東照宮の社殿は、うっそうたる緑の樹林につつまれてすぐれた景観を示している。かくの如く著名な久能寺の旧跡として、或は築城史上の好例として、はたまた家康最初の葬地たる由緒をもつ東照宮の鎭座地として、久能山は歴史上価値あるところである。