志苔館跡
しのりたてあと
概要
南方海ニ臨メル丘陵上ニアリ略々方形ノ土壘ヲ繞シ西面ノ土壘ハ二重ニシテソノ中央ヲ貫キテ通路ヲ設ケ内壘ノ外方及北面ノ壘外ニハ空壕ヲ穿テリ而シテ北面ノ壕ハ東面ノ溪澤ニ連ル南面ハ懸崖ニ臨ミ頗ル要害ナリ土壘ハ幅五間乃至六間高サ五尺乃至十尺壘内ノ東北隅ニ廢井ヲ存ス近時壘ノ一部破壞セラレタルトコロアルモ尚ヨク舊規ヲ存セリ傳ヘ云フ康正年間小林良景ノ築キシトコロニシテ翌長緑元年蝦夷ノ爲メニ一旦攻メ落サレシガ同年恢復セリ 後永正九年四月良景ノ子良定ノ時再ビ瑕夷ノ来侵ヲ受ケ攻メ落サルルニ及ビ以後廢墟トナレリ
S46-5-127志苔館跡.txt: 志苔館は、小林氏の築くところといわれ、西には旧志苔川を配し、東は溪沢に連なり、南方は海に面した丘陵上の館跡である。長禄元年、コシャマインのの乱の主戦場として著名で、昭和9年8月史跡指定となったが、腰曲輪、濠、溪沢全体に指定地が及ぶようにするものである。