安元御賀日記
あんげんおんがのにっき
概要
『安元御賀日記』は、平安時代の歌人藤原隆房【たかふさ】(一一四八~一二〇九)の仮名日記で一巻からなる。安元二年(一一七六)三月四日から六日にかけて、法住寺殿【ほうじゅうじどの】(法皇の御所)において行われた後白河法皇(一一二七~九二)五〇歳の御賀の様子を記している。この賀宴の次第については、当日参列していた九条兼実【かねざね】(一一四九~一二〇七)の『玉葉【ぎょくよう】』などに記されているが、賀宴における舞楽、管弦などの華やかな様子を伝えるものは『安元御賀日記』のみである。
本巻の体裁は綴葉装【てつようそう】冊子本で、菱繋文雲母刷【ひしつなぎもんきらずり】の原表紙と、四つ目菱文【ひしもん】雲母刷の原裏表紙を付し、外題を「安元御賀日記」と墨書する。本文料紙には楮紙打紙を用い、半葉八ないし九行、一行一四字前後にて書写する。外題、巻頭、奥書には、藤原定家(一一六二~一二四一)の筆跡が認められるが、巻中は複数人の筆になる。
内容は、三月四日の暁、後白河法皇が法住寺殿へ御幸した様子を記した記述から始められ、以下三日間にわたる行事次第が具体的かつ詳細に記されている。父隆季【たかすえ】は当時法皇の別当であり、当日の御賀奉行の一人に任じられていた。それ故、行事の次第に従って、父隆季と自身の行動や見聞所感をも叙述している。奥書によれば、本書は、隆房が少将のときの仮名日記であり、定家が見及び書留め校勘を付したものであることが知られる。
『安元御賀日記』の諸本には、定家本系と類従本系の二つが存在し、一般に流布していたのは類従本系である。類従本系には平家の栄誉をたたえる文章があるが、定家本系にはその文章が見当たらなく、両者の違いは平家一門の扱い方にある。成立の順については意見が分かれるところであるが、定家本は御賀の後、ほどなくまとめられたもので、『安元御賀日記』の原形本とも呼ぶべきものであり、その定家本を増補改訂して類従本が成立したという見解が支持を得ている。そのような中で本帖は一部分ながら定家の筆跡を残す定家本系の最古写本である。
本帖は、藤原定家の筆跡を伝えた『安元御賀日記』の現存最古写本であり、かつ院政期の賀宴の詳細を記した仮名日記として貴重である。